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カンヌでは、「脇役」にまわった北野武と松本人志だが、日本の少なくとも、「マス」の世界では、両監督の作品のほうが注目され、話題にも上るのだろう。それは、河瀬直美監督の作品が、低予算で手作り感覚で作られた「マイナー志向」であるからでもある。「殯の森」はミニシアター向けの作品であり、その点二人の「元」コメディアンの監督作品はロードショー向けである。 そこで、両者の映画制作に対するアプローチの違いについて述べ、批評の対象としたい。 北野武監督の処女作は、「その男、凶暴につき」である。故深作欣二作品を越えようとするようなバイオレンスの描写は、「脱日本的」であった。バイオレンス作品は続くも、フランスでの評判が良かった「あの夏、いちばん静かな海」のような、むしろ「日本人にしか出来ない」作品も手掛けている所を見ると、この人の映画制作の動機として見逃せないのは、「日本人としてのアイデンティティの追究」だと思う。もちろん、コメディアンとして大きな成功を収めた後、名声を求めていたとか、もともと映画への憧れから創作意欲を持った、というのはあるだろうが。 今回の作品は、ある程度成功を収めた監督でしか撮る事の出来ない、「楽屋落ち」的なもので、この映画に関しては、成否と言うものは本人も求めていないだろう。むしろ、日本の映画人に対する「カンフル剤」的な効果があれば、最高と言えるのではないであろうか。 松本人志監督は、今回が処女作だが、処女作にしてはあまりにもインパクトが薄い。その薄さは、映画を見ていない私が評判や紹介の記事を見ただけで「見たい」と思えない、ということでも充分に分かる。別に松本人志ファンでもないが、コメディアンとしての才能は高いものがあっただけに、映画を制作したとなれば、普通は「見たい」と思う人物なのに、宣伝が下手なのか、少なくとも私の観点ではこの作品に期待出来る所が無い。ヒーローの哀愁の物語なのか、現代社会への視点の提示なのか、日本人に産まれたアイデンティティの追究なのか、焦点が絞れていない印象なのである。また、エンターテインメントに徹しているわけでもないので、コメディアンモード全開、というわけでもないので、「退役」コメディアンの次の人生の一歩としては、実に中途半端で先が危ぶまれる所である。映画の制作の動機がどうも判然としないのである。 二人とも、もはや「お笑い」では、功成り名遂げた人であり、既にその笑いは過去のものである。北野監督は分かっているだろうが、松本監督は、自分がお笑いの第一線ではもう不要である事が分かっているのだろうか?それが分かっていたら、もっとドラスティックな一歩を踏み出さないと、過去を拭いきれない「グダグダ」な生き方をさらす事になるので止めた方がいいのでは?松本氏は、早いうちに、次の弾を込めておかないと、出処進退を誤る危険を冒す事になる。
by journalism-1
| 2007-06-10 21:19
| 有名人批評
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