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過激なタイトルに見えますが、今日、旅行から帰ってきたばかりです。ま、体質、と言うのは、とても簡単には変わらない、と言う事ですね。ATSがなんだ、とか、メカの事をいっていても、社員と、その意識が全然変っていないので、いや、むしろ悪化しているのかもしれないので、今後、関西では、私鉄に乗り換えるようにおすすめいたします。 まだ、詳しい事は書けません。あまりの事に、ブログだけで、事を済ませようと思っていないのです。だから、「謝礼」と称した、¥1000分の「ICOCA」も受け取りませんでした。もし、何か裁判沙汰になったら、この「謝礼」を受け取った事が、全面的に私を不利にするので。 もともと、下の記事にある通り、家庭内のゴタゴタで、いわば、「慰安旅行」として、両親が、旅行代金を¥30,000出してくれたのですが、旅行に行って、自分を慰めてくるつもりが、JR西日本によって、自分が「なぐさみ物」にされました。本当は、思いっきり羽根を伸ばしてこようと思っていたのですが、途中で中止。ホテルに駆け込んで、グッタリしておりました。 ま、事が起こったのは、昨日の事で、一晩たって、ようやく怒りが沈みましたが、冷静に考えて、こちらの個人情報も渡っているので、今後、私の自宅に、「謝罪」の手紙の1通くらいでも来れば、許してやろうかと思いますが、関西の気風を知るのには、とても有意義な旅行でした。 そう、今日は、心斎橋から、難波まで歩いたので、例の道頓堀川の、「囲い」もこの目で見てきました。あれは、拙すぎますね。戎橋が、歪んでいるように見えてしまってます。ものすごく、醜悪な建築物を見た、と言う感じがしました。 ただ、関西の人(私が京阪電車の中で話した人は、大阪に住んでいるそうです)と話してみて、感じたのは、関西の不況は、根が深く、神戸空港を作るあたりを見ても、計画性がなく、今後、名古屋地区や、福岡地区に、後れを取る事が十二分に有りそうです。正直、客観的に見て、京都も大阪も、「あまい」と言うのが、私の感想です。神戸は、以前旅行に行った経験からすると、まだしっかりしているようですが、「神戸空港」を作るあたり、「利己的」だと思います。 一般的に、マスコミを通じてみる関西の人、と言うのは、消費者として、言うべき事は言う、厳しい消費者、と言うイメージを持ってました。しかし、この京阪で乗り合わせた男性(40近く、少なくとも豊かな生活をしている人には見えない人だが、見識は確かな人)が言うには、 「関西の人間は、文句をいってしまうと、それですっきりしてしまう。だから、すっきりしてしまえば、物を買ってしまう。だから、〈お偉いさん〉が、完全になめてますわ。」 との事。なるほど、けっこう消費者として、クレームはつけるものの、財布のひもは緩めなのですな。さらに、 「大阪が、〈役人天国〉言われてますやろ。あれは、昔、共産党政権があって、組合がむちゃくちゃ強かったんですわ。それで、なし崩し的に、待遇が良くなってもうた。」 さらに、阪神の事を聞きました。 私「あれだけ、人気のある球団なんだし、関西の人は、たいてい阪神ファンなんだから、財界が、株の持ち合いでもしておけば良かったのでは?だいたい、フジテレビの事は、みんな分かっているじゃないですか。不動産などはともかく、電鉄自体は、球団より、規模が小さい事くらい、分かるじゃないですか。中日や、読売は、新聞だから、そんな事はないですけれど。」 その男性「そこですわ。みんな、一人ひとりは阪神ファン。でも、企業ぐるみで、助け合おう、と言う考えにはならないんですわ。まあ、多分、危機意識が弱いんでしょうな。でも、よその人が入ってくるのはいや。それで、〈なあなあ〉になってしまうんですわ。」 JRに関して言うと、この地域の「歴史に由来する問題点」と言うのがはっきりしてきました。北海道、四国、九州のJRは、はじめから経営が苦しい事が分かっているので、本州のJRより、基本運賃が、高く設定されています。それでも、サービス熱心ですし、自動車との競争において、苛烈な競争下にさらされています。 本州のJRの場合、国鉄が民営化されるにあたって、それぞれのJRの社長が選ばれたわけですが、なにせ、どでかい公的機関ですから、それぞれの地域の経済界の大物の人が、社長なり会長なりに「横滑り」のような形で就任したのです。そこで、想像出来るのは、JR東日本のトップは、東京の財界の大物の人、しか就任する事が考えられませんね。東海なら、名古屋の財界の人に決まっています。しかし、西日本となると、大阪の人、京都の人、それぞれの政治的なからみのある人、となるわけで、トップの人事そのものが「紛糾」しそうな感じが容易に想像出来ます。そうなると、トップが変わるごとに、会社の方針が、「面舵いっぱ〜い!」とかになって、ころころ変わりそうです。 JRの経営は、国鉄時代には、実は、山手線と東海道新幹線しか、黒字の路線が、全国見渡してもなかった、と言う状態だったので、かなりのコストカットが必要でしたし、とにかく「巨大戦艦」の企業なので、初めの頃は、同じような公的機関である、銀行の頭取の方、とかが就かれたと思います。もしくは、鉄道事業の経験があって、なおかつ、その時点で、どの私鉄とも縁が切れている人、と言う事だったと思います。 しかし、JRが発足して18年くらいですか。多分、天下りの人や、単なる大手企業の人(公的機関、と言う意識が無い人)が、トップに就いている事があるでしょう。そこで、鉄道事業の認識が甘く、省いてはいけないものをカットした可能性が強く感じられます。 驚いたのは、京都駅において(京都駅ですよ、あのバカデカイ、しかも海外の人もたくさん来る)、窓口業務と、列車運行業務以外の人、つまり、ホームで安全確認をしたり、何か駅で、トラブルが起こった時に、真っ先に駆けつける人、と言うのが、常駐しているのが、2〜3人だけなのだそうです。あの京都駅で、何かあった時、駆けつける事の出来る、JRの職員は、2人か3人なのです。もちろん、犯罪になれば、京都駅の交番から、警察官が来るわけですが。通勤電車で、ホームと電車の間に人が挟まれた、とかの場合、列車の車掌以外に助けに来てくれる人が、すぐに駆けつけてくる可能性は、かなり低いのです。違うホームに、そうした安全確認の人がいれば、駆けつけるのは、ダッシュで来ても、1分はかかりますし、この様な場合、この挟まった人を助けるのに、2人では難しいでしょう。さらに、応援が来るのに、もっと時間が掛かるわけです。 これで、JR西日本に、乗らなければならない人、と言うのは、「お気の毒でございます」としか言いようがありません。 また、関西は、京都を見て、カルチャーショックを受けたのですが、河原町通でさえも、車が渋滞していると、車道を歩く人がいると言う事です。河原町通が歩道が狭くて混雑している、と言う事もありますが、バスが、河原町通を横断する、若者(と言うかバカモノ)によって、ブレーキをかけさせられる、と言う事がありました。また、大阪では、心斎橋の東から、難波にかけての、最も賑わっている所を、狭い道路を車がガンガン曲がったりしています。基本的には、車道なのですが、歩道が無いために、歩いている人がたくさんいるにも関わらず、スピードを落としていないのです。さすがに、警察官が、大忙し、と言った様子ですが、あれは、行政がまずいのでしょう。場所を区切って、歩行者天国にするとか、歩行者と、自動車を、しっかり分けないと、警察官が何人いても事故が起こりそうです。 河原町通は、昨日(日曜日)の16:00ごろ、心斎橋付近は、今日(月曜日)の12:00ごろだったのですが、少なくとも、平日の朝方の渋谷より、怖い思いをしました。 #
by journalism-1
| 2005-10-17 18:53
世間には、「流行」と言うものがあって、どうやら、その「流行」に乗れなかったために、本来素晴らしいものであるはずの食べ物が、食べられなくなった、と言う事があります。 イタリア料理ブームで、近辺の料理は、みんなつぶれました。つまり、ギリシャ料理やスペイン料理屋が、軒並みつぶれています。さすがに「おフランス」だけは健在ですが。 ですから、今、本物のパエリアを食べようとすると、東奔西走しなければなりません。簡単なパエリアなら、ちょっと時間は掛かりますが、休日の自宅の厨房で作れます。しかし、本当のスペインのパエリアは、なかなか食べられないのです。 また、ケーキも、女性中心の文化なので、「スイーツ」となってしまい、おいしいケーキが、一部食べられなくなりました。本当の、甘さを抑えた「ザッハトルテ」が、食べたくても、なかなかありません。広範囲でいう、ケーキであり、立派な「スイーツ」である、「サヴァラン」を見かけなくなりました。ラムがいっぱい染み込ませてあるので、女性には少し辛口なのかもしれません。 ブリア=サヴァラン名言集 見て下さいよ。生きた時代は、フランス革命、ナポレオン即位、と激動の時代にありながら、この人こそ、元祖グルメ、と言える人ではないですか。この名言を見て、深〜くうなずきましょう。だいたい、当たっているものもあるのです。 「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人間であるかを言いあててみせよう。」 これなんか、本当にそう感じる時があります。まあ、食べるものを聞くと、その食べる姿が想像出来ます。すると、性格が滲み出てくるではありませんか。 ファストフードばっかり=こだわりのない人。味オンチ。 無国籍料理が好きなひと=私生活においても、冒険家。混沌としたものが好き。 アジア系の食べ物ばかり=流行を追ってて、決してハマらない人 珍味好き=道楽者 ごはんorコメ=ストイックなのか、他人に関心が無いかのどちらか。 こんな感じでしょうか。 あと、小さい頃に食べたのに、食べられなくなったものがあります。 「ロシア料理」 ボルシチ、ピロシキ、キノコのつぼ焼き。おいし〜んだよ〜。何で、これが旨いと思わないの?と言いたくなるものがいっぱいあります。サワークリームを多く使うので、カロリー的には心配ですが。 近所には、「ネパール料理」も「ヴェトナム料理」もあるのに、「トルコ料理」や「モロッコ料理」を食べる所はありません。「クス・クス」は一度食べてみたいし、ピラフと言えば、あらゆるものが揃っていそうな「トルコ料理」は魅力的です。 ちょっと、傷心旅行に行ってきます。家族内のゴタゴタで、完全に「犠牲者」となってしまい、両親から「慰謝料」が出ました。どこに行こうか迷った揚げ句、「食い倒れ」てやろう、と思いました。ええ、えげつない私の事ですから、建物の上に、「ドカーン」と立っている、観覧車の最高地点から、写真をバチバチ撮ってやろうかと思ってます。 だって、写真は高い所から撮ると、綺麗ですから。下の写真、御存知の所ですが、夜景でなくとも、昼でもこんなに綺麗。 #
by journalism-1
| 2005-10-14 23:05
まいどまいど。 「馬鹿を見たくないと言うなら、まずは自分の鏡をこわす必要がある フランソワ・ラブレー」 こちらは、本当の名言。本当に、けだし名言である。あなたは、この名言を見て、鏡をぶち壊す事が出来ますか? では、いつものように。 「越後屋、おぬしが悪よのう」 そう、越後屋が悪い。越後屋、というのは、三井越後屋に他ならず、つまり、三越の事。江戸時代から三越が、「企業献金」と称した賄賂を、企業圧力によって受け取らせたと言う「事実」故に、成功を収めてきた。 「罪は肉んで、人は憎まず」 BSE、偽装牛肉など、畜産関係者の罪は重いが、本当に刑事裁判をすると、刑務所内で、談合が行われるのを恐れた、農林水産省の「苦悩」を表わすことわざ。 「弱肉給食」 咀嚼力が低下した小学生は、柔らかい肉しか食べられず、給食が流動食になった。背後には、在庫ストックを多く抱えるペットフード業界の事情があり、行政と企業の癒着を示す「役人語」給食のおばさんも、リストラに遭っているので。 「敵は本能、自に有り」 娘が「できちゃった婚」をした時の父親の、自らの過去を冷静に振り返った時の「本音」たいていの父親は、「若かった頃の行き過ぎ」は自覚しているもの。だいたい、娘が出来た時でさえ、娘を責める根拠も無い事を、実感している。 「こん平党」 林家一門における、宣伝マン(こん平師匠)の活動をコントロールする、営業部門。宣伝マンが重体の今、新たな「生け贄」を探している。営業部門は、甘い汁を吸える。とげとげの砂糖菓子のように。 「クール・デューティー」 女性のお金に対する「理想」。男から税金(デューティー)を取り立てつつも、男の頭を冷やし(クール)続ける。貢ぎ物はあくまで貢ぎ物。男たちは「見返り」を求めてはならない。女性にとって、男は、「生かさぬように、殺さぬように」という存在。税率を上げた時に、男が「冷え」ないと、「ビンタ」という方法で、冷やす。とにかく冷やす。 今日は、こんな所にしておきますえ。 ちょっと、きたない事、書きやったので、綺麗な写真を、載せるどえ。ちなみに、どこの写真か、お答えはった方には、何か、リクエストにお答えしますどえ。 #
by journalism-1
| 2005-10-12 23:56
「人間は、他人の経験を利用すると言う特殊能力を持った動物である コリングウッド」 この続きの話です。 さて、私の音楽遍歴の話なのですが、この頃、私はテレビ番組には、ほとんど関心がありませんでした。級友と話す時も、あまりそうした話しはしませんでした。 ゲーセンから、音楽の新しい地平が開けていったのが、「体感ゲーム」が音楽を重視していたため、と言う事は、以前お話しました。 ゲーム音楽を聴くようになって、この頃のゲーム音楽と言うのは、ヤマハのFM音源と言う、ちゃっちいシンセサイザーの音が8音と、これまた粗いサンプリングの音源が5音だけの、めちゃくちゃ貧弱な条件下で、見事な音楽をやっていたのですね。 最近、テレビのBGMで、ゲーム「アフター・バーナー」のメイン・テーマが、録音し直されて、きちんとまともに聴けるようなアレンジで、流されていたので、けっこう、この辺を知っている人がいるんだな、と思いました。けっこう面白いクリエーターが当時はいて、ファンキーK.H氏やHIRO氏はとてもいい作品を作っていたのに、あくまでSEGAの社員、と言う彼らは今儲かっているのかどうか心配だったりして・・・ そういう、インストゥルメンタル音楽を聴いていた私を、ひそかに観察して、「これは、また仕込み時だな」と思っていたかは、どうだか知らないが、母は、新しい音楽の世界に連れていってくれた。 当時、NHK−FMで、「FMサウンド・クルージング」と言う、フュージョンやニューエイジ(この頃はまだそういうジャンルはなかった)を流す番組があって、これを私に聞かせてくれたのですね。これには、すぐにハマリました。さいしょから、リー・リトナーやデヴィッド・ベノワを聴かされては、これははまってしまいますよ。基本的に日本のフュージョンはなし。古いけれど、コイノニア、とか、シャカタク、とかも聴きましたね〜。 ここから、ラジオにかじりつく日々が始まります。ラジオは、この頃は、アーティストが持っている番組が多く、こうした番組は、今の「垂れ流し、音楽つなぐだけの番組」と違って、アーティストが、チョイスした音楽を流してくれるのですから、音楽的に非常に勉強になるわけです。 主に、勉強になったのは、角松敏生の番組、久保田利伸の番組、オリジナルラブの田島貴男の番組でしたね。角松さんの番組を聴いていなければ、「The System」を知らなかったでしょうし、久保田さんの番組を聴いていなければ、「TABUレーベル」や「ジャム&ルイス」「LA&ベイビーフェイス」「テディ・ライリー」と言うようなブラックミュージックについても知らなかったでしょう。田島さんには、アメリカ以外の音楽をいっぱい教えてもらったような気がします。 今の、若い子たちが、音楽を知らないのは、ラジオ番組が「完璧に」崩壊している事と、いい音楽を知っている人が、番組を担当していないからですね。そういう事で、今は、私はラジオは聴きません。 この流れで、当時流行っていた、「アメリカントップ40」も、いつもかじりついて聴いていて、その当時のチャートの事などまで覚えていますよ。例えば、これは、かなり後のことですが、Boyz to Menの「The End Of The Road」がシングルスチャート1位を4週間突っ走っていた時、TLCの「Baby-Baby-Baby」が、同じく4週間2位を突っ走っていて、ついにTLCはこの時は1位をとれなかったのですね。これが皮肉な現象で、両アーティストとも、プロデューサーが、LA&ベイビーフェイスだったのですね。個人的には、TLCの曲の方が断然好きだったのですが。 この頃、かつてピアノをやっていたので、バンドをやりたいと思うようになりました。はじめは、と思って、通信教育をやってみました。通信教育自体は、すぐに飽きてしまい、ダメになってしまったのですが、この教材が素晴らしくよかったのです。上田力氏が作っていて、イヴァン・リンスを初めて知ったのもここ。クルセイダースについて知ったのもここ。ボサノヴァ的な感覚のキーボード奏法を知ったのもここ。 その後、地元のキーボード教室に通うようになり、本格的な音楽の道に入っていきましたが、かつて、エリートで鳴らしていた私にとって、勉強になったのは、機械的な事とポップスにおける表現方法のクラシックとの違いのみ。これは、ポップスを聴けばだいたい分かる事でした。まあ、技術的には、「あ〜あ〜、らくなのね〜」と思ったのでした。 すぐに、バンドをやろうとしたのですが、当時はバンドブームで、誰でもギターを持ち始める頃で、基本的にすぐハードロックやろうとする子が多かったです。バクチクやXに憧れていたんでしょうねえ。この頃から、既に、ドリームズ・カム・トゥルーや シング・ライク・トーキングを「いい!」と思っていた私には、なかなか趣味の合うメンバーがいなくて、たいていは、ゲスト参加と言う形で、色々な所に顔を出してました。 そうする内に、高校は中退して、家にいるようになって、ラジオを聴いていたら、宮沢和史さんか、田島貴男さんかの番組で、セルジオ・メンデスの「ブラジレイロ」と言うアルバムを紹介していて、かつて、イヴァン・リンスを聴いて、そのブラジル感覚に病みつきになっていた私に、ブラジル音楽を探検せよ、とでもいうべき、運命がやって来たのですね〜。 写真は、そのセルジオメンデスの「ブラジレイロ」。20世紀後半において、ブラジル音楽の総結集と言える、名盤です。これを聴いて影響を受けた日本人アーティスト多数。シンプリー・レッドもこのアルバムの曲の一部を、自分たちの曲に使っていました。世界に与えたインパクトとしては、とてつもないものです。 #
by journalism-1
| 2005-10-11 19:50
| 有名人批評
キミをいつも見ていた その黒い瞳 ストレートのロングヘア ちょっとだけ 三つ編みにしているのが チャーミングだった キミが歩くと そこには風が起こるんだよね 男たちは その風に惹かれてしまうんだ 僕と目が合うと 僕のほうからそらしてしまったね それなのに ぼくときたら キミが知らない所で キミを見ているんだ あでやかな笑顔をするキミだから キミのそばにはいつも誰かがいたね 内気なボクは ただそれを羨ましく見ているだけだった ボサノヴァの名曲、「イパネマの娘」の歌詞を、個人的体験を混ぜて描くと、こんな感じなのかな? 「蒼い」頃の「淡い」想い出・・・遠くなった記憶は、どうしても美しくなっていくのさ・・・ #
by journalism-1
| 2005-10-08 11:46
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