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小さい頃から、果物を食べてきましたが、最近、果物がやたら甘い事に、やや違和感を感じます。 梨の季節ですね〜。私は、小さい頃から、「水分欠乏症」でして、汗をかく量も多ければ、水分も非常に欲しがる体質なので、梨、といえば、「二十世紀」が好物でした。「二十世紀」は、甘さが少なく、水分が非常に豊かなので、子供の頃、家の冷蔵庫に、「二十世紀」があると、おふくろに、「ねえ、食べていい?」とよく聞いていたものです。 ところが、最近は、「幸水」がもっぱら一般的には好まれるようで、「二十世紀」は、少なくなってきました。「幸水」は、甘いのですが、水分が少ない。私的には、「梨としては気に入らない」のです。 苺も、ずいぶん甘くなりました。昔は、結構酸っぱい苺が多かったのですが、今は、違和感があるくらい甘いです。ちょっと食べた時に、くどいくらいの甘い苺が多いです。こんなに甘いのだったら、ショートケーキ用にすればいいのに、と思います。 みかんでは、ずいぶん変な甘さのあるみかんが多いように感じます。不自然な甘さというか。みかんには、それぞれ結構味のばらつきがあって、その人その人によって、「当たりの味」と「はずれの味」というのがあると思いますが、最近、私にとって「はずれの味」のみかんが多く感じられるのは、小さい頃酸っぱいみかんばかり食べていたからでしょうか? 果物に酸っぱさが無いと、味覚の重要な要素の一つである、「酸味」を発達させる事が出来ないように思います。食べ物をおいしく味わうのに、味覚がしっかり発達していないと、「グルメ」はおろか、「栄養は全部サプリメントでいい」というような事にもなりかねません。「食べる」事の大切さは、味覚の発達以外に、咀嚼力をつける事もあります。 プロスポーツ選手で、アゴの力がない人はいません。それくらい、アゴの力と言うのは体全体に対して影響力があるのです。咀嚼力が無いと、「小顔」になり、若いうちはいいですが、中年以降、柔らかいものしか食べられなくなり、いくら歯が丈夫でも、せんべいも食べられない、という事態になる可能性があります。 アゴと、力の関係でいえば、王貞治さんや、落合博満など、名バッターはみな、歯がボロボロだそうです。それだけ、食いしばっている事の証明です。 話がそれましたが、甘いものがいっぱいある時代、果物ぐらい「酸っぱく」ないと、「酸いも甘いも噛み分ける」味覚が無くなりますよ。 #
by journalism-1
| 2005-09-19 15:48
いやはや、どうした事か。突然の事で、アタフタしてます。 懸賞が当たったのですよ!!! 確かに、暇な時に、ネットの懸賞サイトで、欲しいと思うものを応募する事があるのですが、ほら、あるじゃないですか、 「発送を持って、発表に代えさせていただきます」 というもの。 あれって、本当なんだろうか、っていつも思いません?もちろん、嘘をついてはいけないわけですが、それが発覚する事が有るのかどうか、分からないですので。 まあ、とにかく、以下のような事です。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ♪ピンポ〜ン 「はい」 「宅急便ですぅ」 「はあ、」 「ハイ、こちら、印鑑お願いします」 「はあ、ハイ」 「どうもありがとうございました〜」 「・・・・・」 確かに、私の宛名で届いています。送り主も、確かに、ずいぶん以前に応募した所のような、でも、ちょっとはっきり覚えていないような・・・ 「品名 ○○焼」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー う〜ん。もらって迷惑な事なんか一つも無いのですが、というより、とても嬉しいのですが、プレゼントも、「不意打ち」を喰らうと、素直に喜べなくって・・・ 懸賞と言うのも、良くありがちな、「メルマガ登録した人にプレゼント」というやつで、果たして、この様なテキトーな事で、「お椀」をもらっていいのかどうか、困惑してしまう私は、疑い深すぎるのか? モノ、自体は、「創作焼物」とでも申しましょうか。一応、あえてどういうものか、といえば「お椀」と言えるのですが、側面に穴が開いていて、注ぎ口が、後付けしてあるので、何かを入れておいて、他の器に注ぐようには出来ていますが、基本的には、実際に使うものではないでしょう。 実際に使うとしたら・・・ 「物乞い!」(被害妄想) 「空から降ってくる【何か】を待ち続ける・・・」(暇人の発想) 「人に【懸賞当たったんだぜ!】と見せて回る」(自己顕示欲の間違った発散の仕方) 「【大道芸】をやってみて、お金を入れてもらう」(物乞いの発想に戻ってきている) 「托鉢」(まだ、悟っていないので・・・) 「もう一度、【焼いて】みる」(コロンブスの卵的発想) 液体を入れる事を思いつかないのは、実はうわぐすりがあえてぬってないので、表面が「ザラザラ」なのです。また、「注ぎ口」があるので、液体を入れても、そうたくさん入る前に、注ぎ口からこぼれていってしまうのです。 「ためても、ためても、こぼれていくのだ、お前は〜」(またも被害妄想) でも、うわぐすりがぬっていない分だけ、手触りが、生々しくって、これはこれで、持っているだけで、なんか「ウキウキ」。多分、ず〜っと持っていると、「テカテカ」になっていくはず。しかし、両手で持って、突っ立っていると、「何も出来ない・・・」(やっぱり、アタフタして、思考停止状態に陥っている・・・) ハッ!気を取り直しました。 今まで、懸賞で、当たった事は、確かに何度かあります。い〜え、決して、スーパーの「ボケットティッシュ」とかではありません。 ず〜っと昔の事。小学生の時に、パソコンのソフト(当時の金額にして¥7,500)と言うのが、これまでの「懸賞ライフ」の最高金額です。他には、スーパーの福引きだったのですが、「充電式ハンドクリーナー」を当てた時は、「カラ〜ン、カラ〜ン」とおなじみの鐘を鳴らされて、ちょっと気恥ずかしい思いをした事があります。 つい最近には、「ピカソの絵(鳥の絵です)を使った、絵はがきセット」が、当たった事があります(これは、Yahoo!で調べたら、¥1,575で売ってました)。 しかし、まさに、「望外の幸い」というのは、この事を言うのでしょう。懸賞に応募したと言っても、10名しか当たらないものを、「懸賞サイト」から応募したのですから、「倍率」からいけば、普通「まあ、まさか当たる事は無いと思うけれど、ひょっとしたら・・・」という、限りなく薄〜く淡〜い(くどいぞ)期待しかしていないわけです。 ネガディヴな発想をすると、「禍福はあざなえる縄の如し」という事で、今後が心配になってくる(ゆううつ)。 ポジティヴな発想をすると、「【器】が当たったのだから、何かが入ってくる暗示」(たなぼた) このプレゼントを下さった所のホームページに、思いっきり私のフルネームが本名で載ってしまっているので、写真とかは勘弁して下さい。 でもね、「予期せぬ事」で「いい事」があると、ちょっと身構えてしまいませんか? #
by journalism-1
| 2005-09-17 18:27
| 有名人批評
この話の続きなんで、興味の無い人は、もちろん、この記事は飛ばして下さい さて、小学校3年生まで、音楽のエリート教育を受けていたのですが、当時の先生と折り合いが悪く、また、私が「ピアノの練習より、公園かけずり回っていた方が楽しい〜」という性格だったため、とうとう「練習放棄」と言う「ゼネスト」に出てしまい、先生に泣かされるまで叱られて(クラシックピアノ、というか、エリート教育って怖いんですね〜)、途中でやめてしまいました。 その頃、本当に音楽が好きだったか、というと、結構怪しいものがあります。というのも、クラシックをはじめとする音楽しか習わなかったし、自分から能動的に音楽を聴く、という行為をしていなかったのです。それより、 「んもう、練習いやっ!ピアノ大嫌い!」 という、子供の部分のほうが強く、また、転校による環境の変化に対応する事に追われ(それまで、都心の小学校では、1科目に二重丸が一つあればいい方、という、ごくごく平凡な生徒だったのに、転校した途端、成績が【暴騰】してしまって、私本人は、【不思議だな〜】と言う安穏とした気持ちだったのに、周りが、【あの転校生、頭いいぜ】という雰囲気になって、クラス委員に押し上げられてしまい(良くある田舎っぽいいじめですね)、急に、ホームルームを仕切る、とか、そういうリーダー的な事をやる事になってしまった)、新しい友人関係を築かなくてはいけなかったりと、ピアノどころではなかったように思います。 う〜ん、何を聴いていたかなあ。姉の影響で、MTV大流行時代でしたから、マイケル・ジャクソンの「スリラー」を全編リアルタイムで視ている世代です。だから、日本のものより、洋楽のポップスのほうが、先に頭に入ってきていますね。当時の日本も、後で知る事になりますが、かなりハイレヴェルな作品群があって、評論家筋では、「一番、世界に近づいた時代」と呼ばれています。まあ、その少し前に、YMOが世界的にヒットした事もありますね。その名残が、今のヨーロッパにおける、「石野卓球ブーム」だったり、「電気グルーブ」が、伝説的ユニットになってしまっているところでもあります(小室哲哉!、あんだけ稼いだら、「大分トリニータ」のスポンサー料、払えんとか言わせんぞ!!!)。 当時の日本の風俗レベルでは、カルチャークラブのボーイ・ジョージが、「オカマ」というだけで話題になったり、デーモン小暮がもろに影響を受けた「KISS」の時の名残で、デヴィッド・ボウイの復活(「Let's Dance」ですね)があったりして、もう男性がメイクするのは当たり前、というイギリスの風俗に「A~ha?」(分かる人だけ分かって下さい)となったものです。 ちなみに、現在、クインシー・ジョーンズの自叙伝を読んでますが、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」にエディ・ヴァン・ヘイレンのギターを入れる、というアイディアは、クインシーのものではなかったそうです。この本を読んで、聴き直して、初めて知ったのですが、このパートは、クインシーのブレーンの一人で、テクノロジー&アレンジ&キーボード担当の、グレッグ・フィリンゲインズが、シンセベースで入れているのですね。そこに、元祖「ライトハンド奏法」のエディ・ヴァン・ヘイレンのギターをオーヴァーダビングしたのだそうです。 ああ、そうそう、Do As Infinityが解散しましたね。ここだけの話、私の音楽専門学校時代の友人が、DAIのレコーディングの時に、アシスタントエンジニアをやっていて(2。3年前)、伴都美子のヴォーカルのトラックの修正を任された事がありました。まあ、今どきDTMが普及しているので、知られている事と思いますが、「音痴」などは、デジタル技術で、かなり直せてしまうのですね。ヴォーカルトラックそのものが、テジタルデータで録音しているので、音程を逆算出来るので、1/4音ずれていても、直せてしまいます。で、彼の証言では、その「直し」に、「もんのすご〜く時間が掛かった」らしく、伴都美子の年齢を考えると、今から歌の音程が矯正出来る年齢でも無いので、ヴォーカリストとして食べていく事は、無理でしょうね。厳しいようですが、音楽業界自体が、もう「構造的不況」になって、永くなるので(繰り返すが、日本の市場が荒れた原因に、小室哲哉がかなり関わっている事は言うまでも無いので、「大分トリニータ」を支援しなさいッ!!!!)、「良心的なミュージシャン」が、次々と契約を打ち切られる、という事態になっています。 閑話休題 おふくろは、それでも、私の音楽的才能を「モッタイナイ」と感じていたらしく、小学校5,6年生の時は、個人の先生の元へ通わせました。まあ、ここは、エリート教育とはかけ離れているので、最初、ちょっと「試し弾き」しただけで、「上手いねえ〜」と、豚をうまくおだててくれたので、しばらく木に登る事にしました。 ピアノ、を習っている人なら、「発表会」と言う物を経験していると思います。私の場合、YAMAHAのエリートプログラムだったので、作曲の発表会だけでなく、グレード(YAMAHAの定義する、音楽的なレベル)のテスト(初見演奏、指定曲演奏、ソルフェージュ【音感とかのテストですね】)、YAMAHAのその地域全体の発表会(これはグループ単位で出るものでした)とありました。 この、地域全体の発表会、ともなると、3000人クラスのホールでやるもんですから、内気だった私でも、イヤでも「舞台度胸」がついたものです。小学校1,2年生で、そんな「観衆(母親ばっかりですが)」の前で「演ってしまう」と、もう、後々のライヴハウスなんて、「どんとこい」の状態になってしまいましたが(苦笑)。少なくとも、舞台のソデでは、緊張する余裕すらない、という事実を知る事になります。まあ、つまり、すぐに開き直りができる、という事です。そういう意味では、バンドをやっていた時代も、「ステージ馴れ」だけはしていて、即興でMCやらされたりもしました。ヴォーカルでも何でもないのに。 中学1年生の頃から、ゲーセンに入り浸りになるまで、まだ、「自分の好きな音楽」は出来上がってはいなかったと思います。ただ、周りの音楽を知らず知らずのうちに吸収している、という状態でした。意外にも、ゲーセンから、私の新たな音楽生活が始まっていくのです。当時のゲーセン、というのは、今どきの「ヴァーチャル・リアリティ」とはほど遠い、「体感ゲーム」と呼ばれるものがありました(決してイヤらしいものではないぞ〜)。この世代の人って、少ないと思うのですが、「アウト・ラン」とか、「ハング・オン」とか、「アフター・バーナー」とか、「ギャラクシー・フォース」とかを知っている人は、かなり早い時点での「ゲーマー」ですね。何だか分からない人のために説明いたしますと、「ハング・オン」というゲームは、簡単に言うと、「関口宏の東京フレンドパーク」の「デリそばグランプリ」とほとんど同じです。そばを持っていないだけで。 今や、SEGA、というのは、ゲーム市場では、「地に落ちた」感があるのですが(会社自体が「セガ・サミー」になっているので、パチンコ業界に「喰われ」ましたね)、当時はナムコより「イケテル」ゲームを出している会社でした。「体感ゲーム」は、ほとんどSEGAの作品で、先程の代表的なものも、全部SEGAです。「体感ゲーム」の特徴のひとつに、「音楽重視」と言うのがあって、「アウト・ラン」と言うのは、クルマのゲームですが、いわゆる「レーシング・ゲーム」ではなく、「ドライヴィング・ゲーム」だったので、BGMをセレクト出来る、という画期的なアイディアが盛り込まれていました。そのBGMから、新たな「地平」が開けていくのですねえ。何が縁で、音楽に戻っていくか分かんないもんです。 全然関係ないですが、写真は、長崎に旅行に行った時のものです。この写真は、「風景クイズ」には、とても出来ません(当然だあ)。「坂マニア」のタモリ氏に、この坂について、うんちくを聞いてみたいものです。 #
by journalism-1
| 2005-09-15 18:02
| 有名人批評
15:00過ぎ。母帰宅。しばらくして一言。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「デパ地下にさあ、OLが昼の御飯、結構、買いに来てるんだね」 へえ〜、ゼータクな。 「まあ、あの辺だから、銀行とか、証券とか、保険関係だと思うけど」 ま〜、”うるおってる所”ですな。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー その昔、独身時代の母は、銀行員だったので、だいたい給料の相場、というのは知っているのだ。母によると、独身時代(そーとーむかし)は、銀行より、損保のほうがはるかに待遇がよかったそうな。とにかく、給料もいい上に、午後4時で帰らせてもらえるらしく、1時間後になる母やその同僚は、とても羨ましかったのだそうな。で、その後の母の言った事が! ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「もうさあ、デパ地下よりぃ、デパイチがくさいのよ〜。」 はあ?デパイチ? 「一階ってさあ、化粧品売ってる所ばっかりじゃな〜い。その化粧品の匂いよ〜。」 はっはっは。それは、おぬしが、デパートから縁遠くなったからじゃよ。わが家の生活レヴェルが下がって、おぬしも1ヶ月に1度くらいしかデパートに行かなくなって、もう何年も経つのう。化粧品の臭いに対する、免疫が無くなったのじゃ。ふぉっふぉっふぉ。 「え〜、そうなの?」 そうじゃ。ワシは、4半世紀前からその事には気がついておったじゃよ。別に、今ごろ驚くような事ではないんじゃ。4半世紀前も、化粧品売り場は、臭かったじゃよ。 「そうなの?そうだったかしら?」 ふむふむ。おぬしは、ワシの手を連れて、デパートを引きずり回しておった頃、ワシは、デパートの一階で、エスカレーターに乗る、と聞いた時には、「エレベーターがいい」といったのは、そのためじゃ。なにせ、エスカレーターに行くまでに、その「化学兵器」のエリアに近づくと、子供だから、本能だけはしっかりしておったから、危険を察知して、エスカレーターのステップに乗るまで、息を止めておったじゃよ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まあ、確かに昨今は、香水のヴァリエーションも豊かになったから、余計匂いはきついのかもしれません。でも、都会育ちの男なら、そのエリアには、基本的には近づかないものです。むかしと違って、ブランド品のショップがあるぶん、女性に「拉致」されそうにはなるものの、男はデパートの一階には用は無いのです。デパートの一階で、まともな「おのこ」を見た場合、それは近くにいる女性に、「カモられている」のですよ。もっとも最近は、「カモられている」男性より、「タカられている」おのこの方が多くなりましたが。「カモ」と「タカ」では、男性としても、気持ちがだいぶ違うのですね。最近は、Mッ気の多い男性が多く「タカ」のほうを喜ぶようですが。 私が幼い頃住んでいたのは、結構「ヤバイ」所でした。官庁街で、しかも繁華街に近い所に、なぜか当時の「公団住宅」が建っていたのですね。まあ、公団住宅だから、我が両親は「くじ運」は良かったのですが。でも、なぜそんな所に建っているかと申しますと、住宅公団の事務所に隣接していたからなのですね。ですから、3Fと4Fはそこの職員の家族が住んでおりました。都会も都会、まあ、いろんな人がいたものです。私は、小学校2年生までしかいなかったので、後で聞いて、「へえ」ボタン、連打!、という事が多いのですが。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 確かに、なぜその頃から、化粧品の臭いに敏感だったじゃな。まず、おぬしは、あまり化粧が濃くなかったのじゃよ、というよりは、周りの住人が濃すぎたのじゃ。おぬしは、早くから所帯じみていたから、というか、まあ、ワシを生んだ歳に、ワシが近づいていってるわけだから、当時としても、同級生のママを見て、「ワケ〜」って思ってたのじゃ。だから、授業参観でも、おぬしは、だいたい落ち着いて見えたじゃよ。まあ、息子のワシがいうのもなんじゃが、当時はそこそこ「ととのった」顔立ちだったから、他のママさんたちが、めかし込んでいるのを見て、いささかワシも、違和感があったのじゃ。なになに、別に引け目は感じておらぬ。それよりは、ママさんたちの交友関係のほうが、振り返った時の立ち位置で良〜く分かって、その方が面白かったじゃよ。それに、あるママさんは、ファンデーションが「層」になっているかと思うくらいだったのが、滑稽だったのじゃ。はっはっは。 それにしても、化粧品の臭いに敏感だったのは、おとなりさんが、あ〜だから。 「ああ、知ってたの?まあ、水商売の人、多かったからね〜」 そうそう、今でいえば、宝塚みたいじゃった。 「えっ?あの二人、カップルだったのよ」 ぎゃっ、なんと!確かに、当時「おかまさん」は、あんなに綺麗な人は居なかったけれど・・・えっ、じゃあ、一人は「男装の麗人」だったのか? 「そ〜よ〜」 そんな事、そりゃ、当時言えるわけは無いのう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー こういう所だったのです。お隣は、「女性同士のカップル」。反対側のお隣は、三人家族に、猫十五匹。「猫屋敷」でした。この家族はまともな家族だったのですが。また、廊下の角の部屋の家族のお母さんが、朝6時に起きて、大声で念仏を唱えるのが、うるさかったのです。まあ、確かに、姉の同級生も、17歳で母親になったし、その人の家は、お母さんが「流れ者」だったりして、込み合った事情もありました。また、小学校の同級生は、在日コリアンで、名前が(本名だしてごめん、でも、似た名前はいっぱいいるだろう)、「ペ・ヨングァン」なので、多分今ごろ、周りから、「ヨン様」とか、からかわれているに違いないであろう。 小学校は、私は、2年生と3年生の変わり目で転校したので、後の小学校で、やっと「普通の小学校」を知る事になりました。なにせ、都心の小学校。しかも、公立なんですが、その地域で最初に出来た小学校で、「尋常小学校」の頃からあるところ。地元では、名門扱いなので、生徒の3分の2が、「越境入学」と言う異常なところでした。まあ、もちろん、「越境」してくる子の家が、勉強に熱心だった上に、その地域が、多少環境に問題のあるところだったりして、でも、幼稚園までは、地元で育っているので、かなり、「ワルイ」連中に囲まれました。 私も、なぜかそういう巡り合わせなのか、私が入るクラス、というのが、結構「学年の中で浮いているクラス」である事が多くて、それが、今の私が出来上がってしまった原因のひとつともいえますが、その「浮き方」と言うのは、ほとんどが、「問題児」が集中している事でした。転校した後のほうは、まだまともな環境だったので、「浮いているクラス」と言っても、まだおとなしい方です。小学校の最初の二年間は、いい意味で、カルチャーショックの連続。なにせ、まず、最初に「ダチ」に教わった遊びが、 「スカートめくり」 それも、上級生狙い。困った小学1年生。かわいくも何ともない。しかし、「悪事」に加担するのも、当時の友情の証。その「ダチ」を筆頭に、5,6人が、走りながら、「ペッロ〜ン」とやるわけです。女の敵!もちろん、同級生も、「エジキ」になりました。でも、当時は、結構女の子も強くて、よわっちい男子は、蹴られたりしていました。他にも、このクラスだけは〜、と先生方を嘆かせる事が多くて。なにせ、「元気印」だけが売り物。名門小学校にありながら、「ベンキョー」より「放課」。その小学校で、放課のチャイムが鳴ると、うちのクラスの誰かが、必ず運動場の、一番球技がしやすい位置をゲット!まあ、チャイムが鳴ると、というのは、ちょっと嘘で、上級生は、もちろんきちっとルールを守るのですが、「さる」みたいな1年生(翌年も同じでした【汗】)は、とにかく遊びが第一。ゴムボールを使っての「手打ち野球」とか、もちろん、「派閥対抗リレー」とか。しょっちゅう「派閥の組み替え」はありましたが。基本的には、男子全員が、同じクラスの女子全員と、他の同学年のクラスの「しろ〜い」目線を浴びているのを知っていましたから、その分、まとまりはありました。もちろん、学年中の先生からも、「マーク」されているのも知ってました。 でも、こういう集団、記録が多い!とにかく、運動神経だけは、みんな良かったので、校内の「なわとび記録」をズンズン塗り替えていくのが、数少ない「自慢」でした。私も一役かって、「後ろ飛び596回」という、今では考えられない記録を覚えております。確か、20分の放課中飛んでいたような。当時は、ビニール製の軽いなわとびが流行っていて、私は、結構得意だったのです。いまでも、小男ですが、当時から、身軽でした。というより、運動で勝負出来るのは、そういう「敏捷性」とか「柔軟性」だけだったので。なわとびは、前二重飛びは当然として、後ろ二重飛び、前あや二重飛び、後ろあや二重飛び、前交差二重飛び、と、「雑技団」をやっておりました。前にも書きましたが、体の柔らかさだけは、小さい頃から、「特技」でして、いまでも、「立位体前屈」では、20cmくらいは軽いです。足を揃えて、ひざを伸ばして、手のひらを「ペタン」とつけなくなると、多分、相当精神的ダメージは大きいと、将来の事を心配しております。 関係ないですが、以前「風景クイズ」にて、函館の写真を使いましたが、この写真は、「グリコ四姉妹」のCMでも使われた事のある、函館の坂です(ひょっとしたら、一筋違ったかも)。元町方面は、このような、見事な坂が、三本、四本あるのです。上のほうから、自転車で、「パーーーー〜〜〜〜〜〜ッ」と降りてみたい、と思うのですが、市電に轢かれるので、出来ません。 #
by journalism-1
| 2005-09-14 17:17
| 有名人批評
だいぶ前の事になるが、といっても今年のことだが、元祖「おたく」であった、宅八郎が、おたくをやめた、という話をテレビでやっていた。その、やめた理由、というのが、とても興味深い。 「エヴァンゲリオンとか、モー娘。あたりになって、ついていけなくなっちゃったんですよね〜」 本心だと思う。私も、宅八郎と、「電車男」とは、違う世界の人間だと思う。おたく、の起源にさかのぼると、そもそもは、アイドルやアニメのマニアックな世界を好む人が、しばしば、知り合いに向かっても、「おたく」と呼びかける、その不自然さが、「気持ち悪い」とか、「コミュニケーションが、まともに取れない」という事で、出来た言葉。 でも、今どき、マニアックな世界をもっていない人のほうが、「浅い」と言われる時代。むしろ、そのような世界をもっていない人のほうが、価値観の基準が、他人任せである事を、図らずも象徴している、というのが、本質的な所である。 宅八郎が、テレビでもてはやされたのは、「森高千里人形」を溺愛する姿を公に映したから。普通の男性なら、誰でも「コレクション」癖があり、それを愛好するのは、自然な事。宅八郎の姿は、その誇張でしかない。その当時のテレビディレクターが、「他人任せの価値観」しか持ち合わせていなかったから、女性受けするために、男性性を否定しただけである。だが、「所有欲」は、女性にもある。そこの怖さに、このディレクターは全く気づいていなかったのだ。 宅八郎が、エヴァンゲリオンやモー娘。に理解を示さなかったのは、よく分かる。私も、ブームになった後、再放送で、エヴァンゲリオンを見たが、「面白いか〜?」が、素直な感想。モー娘。に至っては、「誰でもいいって分けじゃないだろう」と思った。宅八郎には、そうした、「偶像(アイドル)に精神的に依存する」という事が、問題外なのだと思う。 宅八郎以前にも、宅八郎と同じくらいの世代にも、「物」を愛する、という気持ちはあっても、「キャラクターに精神的に同化する」というのは、無い。「アキバ君」とおたくの決定的違いだ。宅八郎が、いくら「森高千里人形」を溺愛しようが、彼自身は、別の世界に生きている事は、自覚している。「アキバ君」は、「その世界」に入り込んでしまっている。「コスプレ」の人たちもそうだ。その精神構造は、かなり女性性が強く、「アキバ君」は、きっと精神的には、ほとんど女性なのだと思う。 例えば、アイドルを応援するにしても、「自分の好きな女性のタイプ」を形成するまでのプロセスにすぎない。「自分の好きな女性のタイプ」が確立されたら、もうアイドルは卒業するか、あくまで、「違う世界では、好きな女性」と割り切るようになる。そのあたりで、「自分の立っている場所」は分かるような精神年齢になっているものだ。「アキバ君」は、「自分の立ち位置が分からない」人たちで、女性性の悪い部分を強く持っている。つまり、「自分に対する、客観性の欠如」である。ある意味、アニメやアイドルの趣味がなくても、「自分の立ち位置が分かってない人」というのは、「アキバ君」と、精神年齢は、ほとんど同じ。それは、男性女性を問わない。「ヨン様」を追っかけて、ソウルに行っちゃうおばさんも、そのレヴェル。ある意味、「永遠の少女」。むしろ、「むかし好きだった男性像」にしがみついているのだから、社会的に、悪性が極めて強い。なぜなら、「精神年齢の退行」だからである。自分の年齢ではなく、自分の「社会的年齢」を考えられない、というのは、さぞかし周りに迷惑をかけている人に違いないと思う。彼女たちが買っているのは、「ヨン様の写真集」ではなく、「周りの顰蹙」ばかりである。 選挙を見ても、「バカが多いと思わない?」と言って、怒られそうな世の中になっている。ずいぶん昔でさえ、桃井かおりが、コマーシャルで「世の中、バカが多くて・・・」といったコピーが、クレームがついて変更させられるような、そんな国だったけれど・・・。本質的な事を避けるのは、日本人のよくない体質で、「くさいものにはフタをしろ」は、「日本人のメンタリティーに対する、強烈なクロスカウンター」と受け取る、度量がなければ、大人じゃない。 最近、「もっとしっかりしてくれ」と言おうとする前に、「憐れみ」を感じてしまう事が多い。「自己肯定」が未然のままか、「自己受容」が間違って為されている「子供たち」が圧倒的に多いのだ。その点では、亡くなった天本英世さんが、「住所不定」の生活を送っていた事に、「大人(たいじん)の風格」を思い出す。きっと、「ホームレス」の中にも、そうした境地に達している人がいると、想像する。もちろん、そういう人は、掘っ立て小屋を建てたりはせず、「ひさし」をかりているだけだ。「住所不定」なのは、害がなく、「立場が分からない」とか「所属する所を求めてさまよっている」事の方が、よほど社会的に問題だ。害悪である。 立脚する考え方、価値観が、存在しない人は、いつまでも社会人にはなれない。働いているから、いないから、の問題ではないのだ。球団買収しようとしたり、テレビ局買おうとしたり、選挙に立候補したり、そんな事の繰り返しでは、「信用問題」になる。また、立場をわきまえずに、「外交問題」をおこす人に、「改革頑張って欲しい」なんて言うのも、アマチャンである。まあ、子供を子供が支持する、という事は、分からぬわけでも無いが。 イヤになってきたので、すっきりする写真載せときま〜す。 #
by journalism-1
| 2005-09-14 11:20
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