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私が、今日こんなに世界情勢に興味を持ち、関心を抱くようになったのには、雑誌の存在が上げられる。 サッカーが好きで、「サッカーマガジン」を読むようになった。それだけでは飽き足らず、「ナンバー」なども読むようになった。そこから開けたのは、ヨーロッパと南米という世界である。サッカーの本場であるが、サッカーというスポーツが、極めて政治とつながりが深いのである。 サッカーの歴史=20世紀以降の歴史とも言える。特に、それまで海外というと中国とアメリカしか知らなかった私にとって、ヨーロッパの精神的な文化の成熟度には驚かされた。南米にも同じ土壌がある。それまで、スポーツ選手のインだビューというと、スポーツに打ち込むばかりに、勉強不足なのか国語力が低いのか、「スポーツ馬鹿」と思える人たちのものばかりだった。ところが、ヨーロッパや南米のフットボーラーは、とても知的である。考え方に、はっきりとしたポリシーが見て取れる。 サッカーの歴史が政治と深く関わっている例を挙げると、枚挙にいとまが無い。 初めて知った事実は、’92の欧州選手権に「幻の最強チーム」が存在した事だった。この大会、優勝したのはデンマークだが、デンマークはもともと出場を予定していたチームではなかった。FIFAが旧ユーゴ代表チームを制裁と称して、予選突破して出場が決まっていたのに取り消して、かわりに出場したのがデンマークだったのである。 この時の旧ユーゴチームのメンバーたるやすごいものがある。もともと「断トツの優勝候補」と言われていたのである。当時の主なメンバーは、ストイコビッチ(名古屋でプレーした誰もが知る”ピクシー”であり、現セルビア・モンテネグロサッカー協会会長)、サビチェビッチ(今はどうしているのかわからないが、ACミランにおいて数々の記録を打ち立て、なかでも’94のチャンピオンズカップ決勝において、ドリームチームと言われた、ヨハン・クライフ率いるFCバルセロナを一人で”暗殺”したのは今でも語り草である)、ミハイロビッチ(今はイタリアのインテルでプレーしているが、この頃はMFで当然フリーキックは得意であった。トップレヴェルで、直接フリーキックだけでハットトリックをしたのは彼しか記憶が無い)、パンチェフ(今はマケドニア代表の仕事にとりかかっているはず)、シュケル(クロアチア代表として’98のフランスW杯で3位という成績に貢献した、この大会の得点王)、プロシネツキ(’90のイタリアW杯からユーゴ代表でプレーしていた、ストイコビッチと並ぶテクニシャン)、ユーゴビッチ(地味なダイナモタイプの選手で、ユベントスなどでプレー。テクニックに走りがちな旧ユーゴの選手の中で、守備と攻撃に走りまくった献身的なプレーヤー)、デュキッチ(数々のタイトルを獲得したリベロ)、その他にも、ボバン、ボクシッチ、カタネッツ、ヤルニ、ミヤトビッチ、など歴戦の選手達が揃っていた。それになっといっても極め付きは、監督が、現在市原で指揮をとる名将オシム監督だったのである(彼はボスニア・ヘルツェゴビナの出身で、彼のような複雑な国の出身でなければ、このようなチームをまとめることは出来なかったであろう)。 その他にも、ナチス占領下におけるディナモ・キエフの話や、レアル・マドリードやFCバルセロナでプレーした、プスカシュ、コチシュなどのハンガリーからの亡命選手の話、最近では内戦に悩むリベリアからでたフットボーラー、ジョージ・ウェアが大統領選挙に出馬しなければならない、悲しい国情。’78の軍事政権下におけるアルゼンチン代表の奇跡など、サッカーと歴史は密接につながっている。 サッカーから世界を見る事が、いとも簡単にできるのである。 ■
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by journalism-1
| 2004-12-25 09:59
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