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北海道旅行の話を続けて3ヶ月。そろそろ佳境に入って参りました。 能取岬まで親切に案内してくれた、タクシーの運転手。能取岬では、いろいろ案内をしてくれ、写真の手伝いまでいてくれました。網走への帰路、そのタクシーの運転手の話を延々と聞かされる事になりました。 この運転手は、娘さんがいらっしゃるようで、その娘さんの旦那さん(つまり婿さんですね)の身の上話をしてくれました。 網走では、産業がなかなか育たなくて、不況のおり、街を出て行く人も少なくないらしいです。この旦那さんも、網走のさる工場に努めていたのですが、その工場がリストラの対象となり、旦那さんは、本社のある、名古屋に強制的に赴任する事になったそうです。名古屋の本社は、「妻帯者は、家族ごと名古屋に来て欲しい」といったので、多くの同僚が家族ごと名古屋に赴任する中、この運転手の娘さんだけは、「名古屋みたいな暑いところに行きたくない(北海道の人から見ればそうなんでしょうか)」といって、旦那さんを単身赴任させてしまったそうです。 その後、網走から行った人たちは、そのまま名古屋に勤めているのですが、この旦那さんは、あるとき、会社の社長さんにばったり出会い、 「なぜ、君はこんなところにいるんだね。」といわれて、網走の工場の縮小により、単身赴任している事を告げると、 「そりゃ、大変だ。一人じゃ何かと苦労するだろう。うまく取り計らってやろう。」 といわれ、即刻、網走へ帰還する事になったのでした。しかも、名古屋赴任中に、技術者としての勉強を充分にされたので、網走にいた頃は、工場の労働者だったのが、名古屋から帰還してくると、技術者を指導する管理職として、高待遇で戻る事が出来たのです。 だから、この旦那さんは、週休二日、以前のように工場の緊急事態に備える事もなく、左うちわで網走で働いているそうです。そもそも、単身赴任でなければ、このように網走へ帰還させてもらう事もなかったらしく、いまでも家族ごと名古屋に赴任していたかつての同僚は、名古屋にいるままだそうです。ですから、このタクシー運転手は、手前みそながら、「あんたのところはいいわねえ。」などといわれているそうです。 この話を聞くと、北海道の経済も、本州の意向に従って、振り回されている、という印象を拭いきれません。 ちなみに、網走に着いたら、ちゃっかりタクシー代¥8,000を取られました。案内するとは言っても、うまく口車に乗せられて、タクシーの営業であったわけです。能取岬は、とても良かったのですが。 何か、本州の経済に翻弄される、北海道の人たちの辛さを聞かされると、本州に住んでいる人間としては、「早く、北海道の経済が自立して欲しい」と思うのでありました。北海道拓殖銀行の倒産、雪印乳業の失敗などを聞くと、北海道の経済は、とても厳しいものだと思いました。 写真は、能取岬から、北側を撮った風景。当日の気候条件がお分かりいただけるでしょうか。でも、能取岬は行くべきところです。鉄道マニアがきっかけで、既に「川マニア」になっていましたが、これから「岬マニア」にもなりそうです。
by journalism-1
| 2005-05-27 07:33
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