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戦後特集の様相を呈しておりますが、今回は、戦後という枠で語ると、みんな間違える人の話です。 先日、フジテレビだったか、中村獅童主演で、小野田寛郎さんのドラマをやっていたが、「時代に合わなかった、軍国主義に凝り固まった、帰還兵」というテーゼで語られていたのには、閉口しました。 実際の小野田さんの素晴らしいところは、帰還してからの彼の人の生き方なのです。 小野田自然塾 元々、小野田さんは、戦前は貿易商で働いていて、軍国主義や戦争にそれほど関心があったわけではない、と先日のインタビューで語っておられました。 ただ、とにかく招集を受けて、とにかくやるならとことんやってやろう、という人のようです。元々貿易商として語学が堪能だったのと、持ち前の生き抜く精神力の強さでもって、中野兵学校に入りました。いわば、諜報部隊の人間として、エリート教育を受けたわけで、決して当時の蒙昧的な軍国主義を信奉していたわけではありません。 彼が、ルパング島において、ずっと生活し、戦っていたのは、エリートとして軍人の節操を全うしただけに過ぎません。小野田さんが、帰還する時、最初はただの日本人が呼びかけても、外へ出てきませんでした。彼が、ジャングルの中から出て来たのは、戦争時の上官が、「武装解除を命令する」と呼びかけたからです。つまり、軍人として、軍律を守り続けたわけです。軍人として、というと、まだ、軍国主義に凝り固まっていたから、という誤解を受けるのですが、彼は、ただ筋をきっちり通す人であっただけなのです。 日本に帰還して、先程にもあった、インタビューで述べていたのは、小野田さん自身が、単に個人的に「天皇陛下万歳」と言ったことが、彼にとっての不幸でした。マスコミから何から何まで、「軍国主義の亡霊」として彼を扱うようになってしまいました。彼にとって、「天皇陛下万歳」と言うのは、戦争が終わっても、日本が復興している様子を見て、また、本人も戦犯として処刑されるという覚悟があったにもかかわらず、日本の地を再び踏むことが出来たことに対する、「良かったなあ」と言う表現に過ぎません。 日本人の多くが、ここで小野田さんの話を終わらせています。同じく帰還兵となった、横井庄一さんと同じくくりで考えてしまっている、いや、それよりもっと頑固な軍国主義者だと思ってしまっているのは、大きな誤解であり、そもそも人間として、全く違うのです。 おそらく、地上で生きている、日本生まれの日本人で、小野田さんは、精神的には「最強」の人です。 結局、当時の日本人が、小野田さんを受け容れなかった為に、小野田さん自身が、「別天地」を求めざるを得ませんでした。 実兄が住んでいるブラジルに渡った小野田さんは、農機具にすら苦労する状況で、一から、ブラジルのネイ・マトグロッソ・スール州の、それは、もうド田舎の土地を、自力で開墾していったのです。最初は、言葉も分かりませんから、何か不足したり、物を都合してもらうために、自分から周りの人の労働を手伝いにいったり、それこそジャングルで生き延びたように、言葉が通じなくても、人間としての力でもって、現地の人と交流を持ち、ついには農場を作り上げました。 そんな小野田さんが、とてもショックを受けたのが、日本で起きた「金属バット殺人事件」でした。子供が実の親を殴り殺す、小野田さん自身も、帰還後父親とうまく行かなかった経験の持ち主なのに、それでも、「子供たちが危ない」と言う危機感に目覚め、日本で「小野田自然塾」を始めました。 つまり、子供たちに、「生きること」とはどういうことか、生きていることがどれほどありがたいことか、口ではなく、わざわざブラジルから日本にきてまで、身をもって示して、自ら模範を示したのです。 これは、欧米のエリートと通じる価値観であり、小野田さん自身が、戦前のエリートとしてのいい部分を持ち続けていたことになります。口先だけの、偽エリートや評論家とは、雲泥の差です。 小野田さんの軍歴など、今になってみれば、どうということなどありません。 サントス・ドゥモン勲章受章 これは、軍隊の賞ですが、たまたま小野田さんを訪ねた、日本のブラジル音楽関係者が、小野田さんと一緒に、ブラジル軍の食堂に、行ったそうです。最初は、みんな、「何か分からん、日系人が来た」と思って、興味も持たず、知らんふりをしていたのですが、この音楽関係者が、 「こちらが、小野田寛郎さんです」 と紹介するやいなや、そこにいた軍人全員が、立ち上がって、小野田さんに最敬礼をしたのです。エリート軍人からみれば、エリート軍人の鑑、と小野田さんは尊敬されているのです。 まあ、小野田さんのように、ひたすら精神的に強くなるのは、普通の人には無理ですが、信念を持って生きることなら、真似だけでも出来るものです。 今どきの20代以下のオコチャマたちは、無宗教で、哲学も信念も、思想も何もなく、それ故に、拠り所がなくなると、ナショナリズムに走ってしまっています。サッカーやバレーボールの日本代表が盛り上がったり、メジャーリーガーを応援するのは、その顕れです。つまり、自分たちの代表が、海外の人間と対峙して、戦っている、というところに、アイデンティティ(自己同一性)や自分の所属する居場所を求めてしまうのです。 そんなオコチャマたちが、小泉を見て、「毅然としてカッコいい」とか「外国に干渉されない態度が素晴らしい」などといっているのは、嗤うことしか出来ません。そんなことで、内閣を支持するなんて、腑抜けた子供の考えでしかありません。 そんなコドモたちは、いっぺん、一列に並んで、小野田さんに端から端まで「目を覚ませ」とひっぱたいてもらいたいです。小野田さんが、どれほど生きる事に対して真剣であるか。八つ当たりで、衆議院を解散するような、三世政治家の「圧政者」に、生きることの辛さや苦労など、分かるはずもありません。
by journalism-1
| 2005-08-18 11:24
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