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う〜ん、北野武監督の最新作、「TAKESHIS'」は、ベネツィアでもそうでしたが、「分かりにくい」「何が何だかサッパリ分からない」という意見が多いようですね。それでもって、「いい作品とは言えない」というのは、まあ、知る人ぞ知る、ということで、批判するのは、まあ、理解力が貧しいとしか言えませんね。 日本でも、同様の批判が有るようです。「わけが分からない」「ストーリーがめちゃくちゃだ」と。まあ、今までの北野作品の、「バイオレンス」や「目新しさ」や「ストーリーの奥深さ」というのを期待して見に行った人は、ご苦労さんとしか言いようが無いですね。 これは監督の意図的な作品なのです。実験的というか。もとより、一般人に受けることを目的としていない。「座頭市」で儲けたお金で、自分のやりたい作品を造るお金が捻出出来たので、「やってみた」という作品なのです。理解してもらおうなんぞ、大して思っていない。この作品に、どれだけの日本人が、「文化的価値」を認めるか、という挑戦と、問いかけなのです。これには、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と共通する、精神が有るのですが、もっと踏み込んだことになれば、コメントの方へ、リクエストを下さい。私も、この作品は、見る前に、「監督は、厳しい『問いかけ』をしたなあ」と感じたものです。私は見ていませんが、意図するところが分かっているので、ゆっくり後で見ようと思ってます。 さて、この記事にもあるように、鉄道を、政治的、文化的な視点から捉えることが結構あるのですが、そのせいで、いろいろな知識を持つようになりました。 日本人で、映画が好きなひとは、この映画を知らないし、鉄道ファンは、この映画しか知らない、という、映画がありまして、この映画、フランスでアイディアを「パクられた」という事実を知っている人は少ないようです。 昭和50年の作品、「新幹線大爆破」です。新幹線に対する、「爆破予告」があり、それをめぐって、乗務員や国鉄(当時)の職員が、客の動揺を抑えながら、この「爆破」を回避する、というストーリーです。 昭和50年というと、1975年なので、この頃、「パニック映画」が流行っていた時です。1974年に、「タワーリング・インフェルノ」が大ヒットして、ある意味、その「パニック・ムービー」という面では、日本も「パクった」と言われてしまうかもしれませんが、アメリカが、高層ビル火災、というのをテーマにしているのに対し、まあ、日本は、当時ご自慢の、世界でたった一つの「高速鉄道」(当時、200km/hで走る鉄道は、世界で新幹線しか存在しなかった。フランスの「TGV」が出来たのは、1982年。)である、新幹線を題材として扱ったのですが、火災、という、意図的ではないものではなく、「犯人」がいて、「爆破予告」をする、という設定が、オリジナリティがあるうえに、高速で移動するもの、という舞台や、その映像が、フランスなどで大ヒットを起こしたのですね。お、見えてきましたか? そうです、この映画の設定は、「時速80km以下になったら、爆弾が爆発する」という設定なのですね。つまり、80km以上のスピードで、パニックを回避しなくてはならず、そのため、高速の状態での映像が出来上がり、それが、大変好評だったのです。日本では、あまり好まれなかったのですが、フランスでは好まれた。つまり、この映画の設定、そのまんま「スピード」にパクられているんです。いや〜、もっと日本人は、この映画を大切にすべきだったと思います。なにせ、この映画、国鉄の「非協力」がおえらいさんから命じられていて、おそらく、現場の鉄道マンの、好意によって、いろいろなシーンが撮られているのです。この当時、映画が、日本で、おえらいさんに、どれほど軽視されていたか、という事を物語ってもいますね。細かいところは、模型で撮影しているので、いま見ると、どのシーンが、実写でないか、ということは分かってしまうのですが、そういうあら探しをして見ても意味が無く、むしろ、実写において、この当時(繰り返しますが、1975年)とてつもない技術があったことと、映画に対する、現場の人の「情熱」が感じられます。この面においては、現在の日本映画は、一体何なんだ、と思ってしまうのです。 さて、あまりに鉄道好きが高じてしまい、それは、幼い頃、おふくろによって与えられた、「時刻表」(いま考えても、小学校に上がる前の子供が、あの時刻表を読んで、場所や乗り換え時刻を計算して、【仮想旅行】をしていたのだから、やっぱり私は、子供のころから変わっていたのです)が発端となっているので、この度、世界に発売されている、ヨーロッパの鉄道の時刻表、「トーマスクック時刻表」を、中古で買って、いろいろ見ていたのです。 いろいろ見えてきます。交通の要衝と、有名なヨーロッパの都市とは違うのだな、ということ、とりわけ、国際列車に関しては、目的がはっきりしていることと、その「愛称」に、「やっぱり、ヨーロッパって、文化的に持っているものが違うのね」ということを思わずにはいられませんでした。 いわゆる、分かりやすい通称は、日本の新幹線のように、高速鉄道にはあります。「TGV」は、「Train a Grande Vitesse」(超高速列車とでも訳すのでしょうか?)ですし、ドイツの「ICE」は、昔からある、「IC(インター・シティ)」の発展版として、「Inter City Express」の略なので、ある意味、「なぜ、ドイツ語を使わなかったのか?」という疑問が残りますが、この辺は、分かりやすいことが優先なので、まあ、大してすごいとも何とも思いません。 しかし、ここの列車に、特に重要な列車には、「愛称」が付けられていて、これが多くは、「人名」だったりして、「いいなあ、共通して、尊敬する【人】がいるのは」と思ってしまいました。日本の場合、自然や地名、が付けられることが多く、人名というのは、現在、九州の通勤用特急に付けられている「かいおう」(おそらく絶対に横綱にはなれない力士)だけだったりして、「ヘナヘナ」と力が抜けてしまいます。もちろん特急以外には、いろいろありますが、観光用の列車だったりして、あまり有名な重要な列車、ではないので、「日本の場合、つけるような【人】が存在しない」という感じがしてしまいます。 主なところを取り上げてみましょう。 ロンドンと、ジュネーヴを結ぶ、「ユーロシティ(ドーバー海峡トンネルを通る、高速列車)」の名前 「EUROCITY HENRY DUNANT」アンリ・デュナン、赤十字の創設者ですね。ジュネーヴ行きの列車だから、当然かもしれません。 「EUROCITY J J ROUSSEAU」ジャン・ジャック・ルソー、あまりにも有名な、「社会契約論」を書いた、社会思想家。 「EUROCITY VOLTAILE」ヴォルテール、ルソーと対立した、哲学者、作家。 ライプツィヒーデュイスブルグ間の列車 「KOPERUNIKUS」コペルニクス、最初に地動説を説いた、宗教家。なぜか、ポーランドを走っていないのだが。 パリーミラノ間の列車 「STENDHAL」スタンダール、いかにもパリーミラノ間にふさわしい、おしゃれな名前。 パリーローマ間の列車 「GALILEI」ガリレイ、列車に乗って、「それでも地球は回っている」などと言いながら、ワインでも飲みたいものである。 パリーマドリードの夜行列車 「FRANCISCCO DE GOYA」ゴヤ、画家としてあまりにも有名。 等々、ダ・ヴィンチも、ポール・カザルスも、モーツァルトも走っておりますよ。こういう文化、羨ましい。
by journalism-1
| 2005-11-19 14:51
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