カテゴリ
以前の記事
2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 お気に入りブログ
ライフログ
検索
最新のトラックバック
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
さて、サッカーの方は、新シーズンに入って、う〜んでもチャンピオンズリーグのPSVvsリヨン、チェルシーvsバルセロナ、を見させられた後では、ゼロックスカップの緊張感の無さはどうしたものでしょうか? だって、レッズはムダな大補強。ワシントン加入が、昨年のヴェルディと同じように、「ワシントン依存症」となって、攻撃にノッキングを起こしているのが明らかです。ガンバは、「大補強」なんて言うのはウソウソで、抜けた穴をパッチワークで埋めているようなもので、継ぎはぎだらけなのが分かってしまっています。明神が効いていたのは、素晴らしかったのですが、コンビネーションはズタズタ。潜在能力では、播戸の方が、実は大黒より上だと思っているのですが、それなら吉原を大宮アルディージャに出した理由は?ガンバ大阪のフロントは、柏レイソルと名古屋グランパスと並んで、「お金をドブに捨てるフロント」として有名ですからね。以前は京都もこの傾向があったのですが、さすが「京セラ」を一代で築いた稲盛名誉会長が、不甲斐ないフロントを入れ替えて、きちんとした組織に入れ替えました。だからパープルサンガは大丈夫。 でも、アントラーズと横浜Fマリノスの戦力がずば抜けているでしょう。ジェフ千葉とサンフレッチェが食いついていけるか・・・個人的には、清水と大宮はイチ押し。清水は若手の成長の上に、長谷川健太監督の色が強く反映されて、選手ではなくコーチを補強。元日本代表の田坂和昭氏がコーチ就任、元川崎フロンターレのキーパーで、長谷川監督が浜松大学の監督をしていた時の盟友でもある、浦上氏のコーチ就任。内側から固めているこのチームは強くなりますよ。大宮は、こちらが本当の「大補強」で、土屋、波戸、吉原、小林慶行、小林大悟、ちょっと、三浦監督、あまりにもおいしすぎませんか?三浦監督、これで大宮が強くならなかったら問題ですよ。 でも、アントラーズは、駆け込みで柳沢が復帰しているし、小笠原が抜けていない。横浜Fマリノスにいたっては、アキレス腱であった、ドゥトラの場所に、「左サイドバカ(失礼)」平野孝が入って、むしろアキレス腱がストロングポイントになってしまった上に、グランパスで大活躍したマルケスが駆け込みで加入。もともと左サイド攻略に長けたフォワードなので、ドゥトラの能力が最大限に生かされる事間違いなし。この2チームに追いつけるのが同じくグランパスが取りこぼした、ウェズレイを拾って、同じブラジル人のベットががぜん意気込んでいるという広島、オシムスクールがますます強化されたジェフ。この他は、埒外でしょう。 話がそれました。 しおりが見つかったのです!! あった、あった、しおりが有ったのですよ!!ひょんな所から見つかる、というか失せ物が見つかる時というのは、いつもひょんな所から見つかるものなのですが。 あっ、本屋でみつけたというのは記憶違いでした。JTBの本に入っていたので、旅行関係の本を買った際についていたのを保管していたのですね。そのしおりが心理学の本に挟まっていたので、どこでどうやってこのしおりが行き来していたのか全く分かりません。 でもとにかく、当時の「東京市」の地理が良く解るしおりです。何せ、渋谷も品川も郊外の扱いですし、おそらく太字で書いてあるのは、路面電車だったのですが、細字で書かれているのは「馬車鉄道」だったと思われます。 とにかく、地名が面白い。 「万世」 今、橋そのものが「日本橋再生計画」と共に存在がクローズアップされていますね。 「錦糸堀」 錦糸町のところが、堀になっていたのでしょうか? 「スサキ」 洲崎が当時は漢字が割り当てられていなかったのですね。 そのわりに「須田町」「人形」「小傳」「神田橋」「錦町」「神保」「本石町」「新トキワ」「呉服」「カド橋」「カヤバ」と、都心部の駅の細かい設定の数々にビックリです。このしおりは、写真では見づらいですが、大正12年九月一日、関東大震災当日の乗換切符を模したものです。震災が起きたのは、午前五時。当時は火災で大変な事になっていた状況の中で、この切符を手にする事の出来た人と言うのは、きっとかなり高い階級の人だと思われます。 いまは、自衛隊の駐屯地がある市ケ谷、当時はこんなに郊外の扱いなんですね。ちなみに、新宿区の地名の方は「市谷」と書き方が違うそうです。「市ケ谷」は駅名のみの表記なのです。しかし、新宿の隅の方にある事! 「青六」「青一」 青山の地名もずいぶん省略されていたものです。 「カスミ」「エビス」 漢字ではない!!!笑えます。 「目黒」 なるほど、落語の「目黒のさんま」がありますが、この地図のようであれば、殿様にとって目黒に行くのは「遠駆け」だった事が分かります。 「スガモ」「大塚」「新宿」「渋谷」「エビス」「目黒」「品川」これらの郊外の地域を繋いだから「山手線」なのですね。 今では分からない地名も幾つか。 「桜田」と「半蔵」の間にある「三宅」というのはどこの事なんでしょうか?「三宅門」とかあったかなあ? 「市ケ谷」と「四谷」、「赤坂」「虎ノ門」が一つの線で結ばれているあたりに、江戸時代の城下町の名残が見えます。「御成門」なんて、いかにも古式ゆかしき門の名前ですね。「飯倉」の南に「赤羽」という地名がありますが、もちろん今の赤羽とは全然場所が違うのですが、名残を留めているものが在るのでしょうか? 「泉岳寺」 忠臣蔵もずいぶん郊外で行われていたのですねえ。 「築地」は在りますが、「新橋」が見当たりません。もちろん、当時はもう新橋には横浜とを結ぶ鉄道が開通しているのですが、この地図には新橋が見当たらないのです。「芝口」あたりなのでしょうか?「芝口」これもいわく因縁の在る名前ですね。「東京芝浦電気」は「芝」に工場が在ったから、その名前がついたわけですし、落語の「芝浜」というのがあるくらいですから、この辺がもう海岸であったわけです。 「徒町」 むかしは、「御」が付いていなかったのですね。なんか、間抜け(笑)。「深川」もずいぶん海寄りにあるわけで、「吉原」もこれでは台風が来たらひとたまりもありませんね。「永代」でさえこんなにはじっこにあるのだから、葛飾なんてのは「東京」ではないのですね。 しかし、こんなしおりに価値を持つ方、どのくらい居られるのでしょうか?私って、変?
by journalism-1
| 2006-02-25 17:03
|
ファン申請 |
||