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何を首相は考えているのか?防衛相に小池百合子氏を就任させた。 「制服組」にとって、こんなことは噴飯物であるはずだ。司令官が、女性だなんて。 女性ならではの、防衛に対する強硬な考え方と言うのがある。男性のほうが、子供の頃から喧嘩などを通して、実際の「やるかやられるか」の判断に聡いので、案外軍事に関して好戦的ではなかったりする。そこが女性では、相手を退治することしか思いが及ばないので、不必要に攻撃的になったりすることが多い。 安倍氏はネオコンであることを隠そうとしない。それなら、小池氏は内閣特命委員だったか大使だったので、安倍氏の考え方に沿った人物であり、ネオコン的な考えの持ち主と見て間違いないであろう。 小池百合子氏は、もともとはニュースキャスターであった。それが政治家になったのは野心があったのだろう。外見は見ての通り「おばさん」だが、どう見ても自分の意見を強引にでも通すタイプに見えるのだ。 防衛に対するビジョンを語ったことはない。しかし内閣特命なんちゃらだったと言うことは、改憲&集団的自衛権行使、という方向で間違いないだろう。しかし、「制服組」にとっては、不本意な人事であろうし、一国民として、自衛隊の司令官(性格には首相の方が本来の司令官だが)が女性と言うのは信頼出来ない。また、小池氏のこれまでの経歴を見ても、変節が多い。 何やらキナ臭い人事が安倍内閣において横行するようになってきた。 ■
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by journalism-1
| 2007-07-05 07:03
| 有名人批評
コムスンの不祥事(不祥事でも何でもない、単なる不正だが)によって、一時ワタミの名前が譲渡先として上った。 私は、ワタミの社長、渡邊美樹氏が気になる。なぜか? この人は、若者に影響力があり、それも若者に対してたいそう「夢」のあるメッセージを送り続けており、それゆえ人気があるが、それが本物かどうか疑わしいのだ。 本を出そうと自由、フリーターに働けと言うのも自由。じゃあ、本業は? ワタミの主力業務である、居酒屋では、従業員を格安で雇い、中には外国人留学生(主に中国)を従業員として雇っている店舗もある。これ、若者に対して夢を売る事にはなっていないよね。居酒屋業務と言うのは、「ワーキングプア」の代表的なもので、その犠牲の上にワタミは成り立っている。 そこで、このおっさんは格好いい事を言うのだ。若者でも、「盲目」の若者や、「ワーキングプア」とは関係ない、豊かな若者は、共鳴するところはあるかもしれない。しかし、基本的に、「本当の悪人は、善人の顔をしてやってくる」という原則を忘れてはいけない。 ワタミの会社の内容を観てみると、この会社、社長が結構ネックになっているのだ。社長のバックにいるのが誰か分からないが(株主?)、そちらがしっかりしているので、ワタミは成り立っているが、基本的には従業員の安い給料を土台としている点では、コムスンと変わらない体質を持っていると言える。 感覚的に動く社長なので、社長の判断次第で、ワタミと言うのは一気に業績を浮沈させる会社のようである。ワタミの株を持っている人は、気をつけた方がいいと思う。よく、株式のネット界のほうでは、ワタミは推奨株の扱いを受けているが、かなりリスキーであると申し上げておこう。 貧困から脱出したい若者は、まずこの人のような人を「敵」として、戦わねばならない。ワタミの従業員は労組でも組んではいないだろうな。人材派遣業の不正も多い中、個人個人の働くうえの用心深さと、雇用側への「不正を許さない強い意志」が求められる。現在ワタミが不正をしているわけではないのだが。 ■
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by journalism-1
| 2007-06-17 21:00
| 有名人批評
カンヌでは、「脇役」にまわった北野武と松本人志だが、日本の少なくとも、「マス」の世界では、両監督の作品のほうが注目され、話題にも上るのだろう。それは、河瀬直美監督の作品が、低予算で手作り感覚で作られた「マイナー志向」であるからでもある。「殯の森」はミニシアター向けの作品であり、その点二人の「元」コメディアンの監督作品はロードショー向けである。 そこで、両者の映画制作に対するアプローチの違いについて述べ、批評の対象としたい。 北野武監督の処女作は、「その男、凶暴につき」である。故深作欣二作品を越えようとするようなバイオレンスの描写は、「脱日本的」であった。バイオレンス作品は続くも、フランスでの評判が良かった「あの夏、いちばん静かな海」のような、むしろ「日本人にしか出来ない」作品も手掛けている所を見ると、この人の映画制作の動機として見逃せないのは、「日本人としてのアイデンティティの追究」だと思う。もちろん、コメディアンとして大きな成功を収めた後、名声を求めていたとか、もともと映画への憧れから創作意欲を持った、というのはあるだろうが。 今回の作品は、ある程度成功を収めた監督でしか撮る事の出来ない、「楽屋落ち」的なもので、この映画に関しては、成否と言うものは本人も求めていないだろう。むしろ、日本の映画人に対する「カンフル剤」的な効果があれば、最高と言えるのではないであろうか。 松本人志監督は、今回が処女作だが、処女作にしてはあまりにもインパクトが薄い。その薄さは、映画を見ていない私が評判や紹介の記事を見ただけで「見たい」と思えない、ということでも充分に分かる。別に松本人志ファンでもないが、コメディアンとしての才能は高いものがあっただけに、映画を制作したとなれば、普通は「見たい」と思う人物なのに、宣伝が下手なのか、少なくとも私の観点ではこの作品に期待出来る所が無い。ヒーローの哀愁の物語なのか、現代社会への視点の提示なのか、日本人に産まれたアイデンティティの追究なのか、焦点が絞れていない印象なのである。また、エンターテインメントに徹しているわけでもないので、コメディアンモード全開、というわけでもないので、「退役」コメディアンの次の人生の一歩としては、実に中途半端で先が危ぶまれる所である。映画の制作の動機がどうも判然としないのである。 二人とも、もはや「お笑い」では、功成り名遂げた人であり、既にその笑いは過去のものである。北野監督は分かっているだろうが、松本監督は、自分がお笑いの第一線ではもう不要である事が分かっているのだろうか?それが分かっていたら、もっとドラスティックな一歩を踏み出さないと、過去を拭いきれない「グダグダ」な生き方をさらす事になるので止めた方がいいのでは?松本氏は、早いうちに、次の弾を込めておかないと、出処進退を誤る危険を冒す事になる。 ■
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by journalism-1
| 2007-06-10 21:19
| 有名人批評
随分昔の記事になるが・・・ なっちの盗作について ここでも、ジャニーズと比較して、ハロプロがプロダクションとして未熟であることを書いている。今回の、加護ちゃん、辻ちゃんの相次いだゴシップは、これを証明していると思う。 芸能人が一般人に影響力を及ぼすようになっていたのは、随分前の話で、今どき芸能人を見て影響される人の方が少数派である。それでも、テレビの影響力というのは捨て難く、世論がミス・リードされたり、「あるある大事典」のように間違った方向に物事が扇動されるケースが後を絶たない。 ハロプロは、「モー娘。」を解散して、新たに出直すべきだと思う。その方がイメージ回復につながるし、メンバーの入れ替えも可能だ。正直言って、筆者も「モー娘。」をテレビで視ていた時期が有ったが、石川梨華、吉澤ひとみで興味は終わってしまい、後の子供たちには何の関心も持たなかった。 高校野球、Jリーグその他でも、ティーンエイジャーの社会教育が問題になる中、ジャニーズのように伝統的に厳しい所は生き残っていっても、ハロプロのようにおざなりな所は生き残っていけないというのが感じられる。ハロプロ出身のアイドルで、将来を見据えるならプロダクションの移籍も考えた方が良いはず。 世の中、うまく渡っていくに越したことはありません。 ■
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by journalism-1
| 2007-05-10 11:13
| 有名人批評
以前、サッカーマガジンで、目からうろこの記事を読んだことがある。 中田英寿に関する、ブラジル出身の日本人の日本サポーターの意見である。 彼は、「完全燃焼」したのだろうか?あれでサッカーを終えたのか? その意見について、サッカーマガジンから参照させていただこう。 2006年ドイツW杯・日本対ブラジル戦後 ピッチに倒れるヒデ。うずくまるのか、泣いているのか、動かない。中田は闘った。確かに闘った。ブラジルを相手に臆せず闘ったのだ。 このブラジル出身の日本人の意見(くどいが、この人は日本代表を応援していたのである)。 「中田はセルフィッシュ(ジコチュー)だ。あんなにボールを持ちたいなら、自陣ゴール前からドリブルして、ブラジルゴールにシュートすればいい。」 ピッチに寝転んでいたことについて。 「何をもたもたしているのだ。敗者は去れ。いつまでもピッチで騒いでいいのは勝者のみだ。」 いずれも、中田英寿の孤立ぶりを指摘し、その態度の傲慢さを突いている。 今、中田は「自分探し」の旅に出ているそうだ。ふざけるな!日本代表はおまえのために有るんじゃねえ。「自分探し」とやらのフリーターごときのようなことでサッカーをやめるなら、最初から日本代表に関わるな!これで、日本サッカーに中田が貢献したことになる事が筆者は悔しい。日本代表はそんなおもちゃではない。バイト感覚で日本代表でプレーし、そこで自己満足で振る舞っていた、それは「金返せ」と言いたくなる仕業である。 そう、中田はもう日本社会に必要ない。あのような存在は、もう受け容れる余地はないのだ。その証拠に、怪しげな偽善的なニュースもなくなってきた。彼には、まだサッカー人としての大人の人格が身に付いていないように見える。それは成功しなかった、前園、城、小倉には有るものだ。 ■
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by journalism-1
| 2007-04-19 14:02
| 有名人批評
堀江被告(以下、ホリエモン)を勝ち組だと考えている人はいるだろうか、また負け組だと考えている人はいるだろうか? この「勝ち組」「負け組」は実はものすごい歴史の深い言葉で、そのことについてはあまり知られていなくて、ここにトリビアとして紹介する。なお、このことについては、確か、小林信彦氏の本か、ライフログでも触れている、上野清士氏の本からか知ったので、そこからの拝借であることを記しておきます。 今の世の中では、勝ち組、というと成功してお金を儲けてリッチな層になった人、というのであり、負け組、といえば、うまくいかなくてお金にも苦労して恋愛もうまくいかない、という定義であるが、この言葉、もともとは第2次世界大戦後の南米での言葉なのである。 時はポツダム宣言以後。南米は戦禍から逃れ、日本人の移民もたくさん移住していた。移民は、当時は日本人コミュニティを形成しており(現在もだが)、この「無条件降伏」という、事実上の”敗戦”の解釈をめぐって、移民たちが真っ二つに割れてしまったことである。 昭和天皇は生存しているから、日本は負けてはいない! という主張に立った人たちが、集まったのが「勝ち組」であり、 無条件降伏したのだから、敗戦したのだ という主張に立った人たちが、集まったのが「負け組」。要は、戦争そのものからは全く関わりがなかった人たちが、つまり実際にはほとんど被害を受けていない人たちが、自分たちの思う所を述べただけで、その事実や客観性というのは無視されている言葉なのである。 前述の本を読んだ時、著者が、 「勝ち組・負け組というと、やおら『亡霊』のような言葉が蘇ってきた」 といったのを思い出すが、その定義から、今のホリエモンを見ると、 堀江貴文は勝ち組だ!というのが本人の思う所であろうと思うのである。 ■
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by journalism-1
| 2007-03-31 13:31
| 有名人批評
まあ、まだ芸能記事の段階なので、信憑性には欠けるのだが、戸田菜穂と松井秀喜の破局が報じられている。 と言うことで、今回のテーマは、 「戸田菜穂は、結婚する気はあったのか?」 と言うことで。 私の知っている情報を総合すると、戸田菜穂は地元広島でも有名な医者の娘。まあ、お嬢さん育ちといってもいいでしょう。10代で芸能界デビュー。ブレイクのきっかけになったのは、NHKの朝の連ドラ「ええにょぼ」の主役を演じた事。 育ちの良さを証明するように、本人のプロフィールを見ても、なかなかいい趣味を持っている。女優としても、近年の活躍はめざましく、「ショムニ」のようなコミカルなものも演じられるし、和風の役柄もよく似合う。 トーク番組に出たりする事が少ないので、なかなかその素顔を判断する事は難しいが、精神的に頑丈、と言うタイプではなさそう。確かに、そばに頼りになる男性がいる方が、いい仕事が出来そうだ。 反面、男性の束縛は嫌うタイプなのではないかと思う。とにかく、女優の結婚というのは難しいもので、どういう形にせよ、旦那が協力にサポートしてくれる状況でないと、離婚しやすいのは、今まででもたくさんの例が証明している。 だから、現役メジャーリーガーの松井秀喜との交際が報じられた時は、 「えっ、女優やめちゃうの?」 と思った次第である。それにしては、女優としての才能がもったいない、と思ったのである。 本人の希望としては、女優を続けつつ、結婚したかったのではないかと思う。それにしても、松井のほうの返事は歯切れが悪かった。多分、松井サイドとしては、結婚するなら、女優をやめて欲しい、と言う考えだったのではないだろうか。まあ、必然的な破局といえるでしょう。 戸田菜穂自身は、女優としての格は同年代の女優の中でもトップクラスなので、仕事は順調に続けていけそう。ますます、女に磨きをかけて欲しいと思う。ただ、結婚となると、同業者、特に映画監督あたりが向いているのではないかと思う。 ■
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by journalism-1
| 2006-06-19 18:18
| 有名人批評
「有名人女性批評」というカテゴリーをスタートさせます。う〜ん、批評である以上、批判だけをするわけではありません。いい人はいいのです。ただ、有名人というのは、イメージが先行するもの。また情報も限られたり、ガセネタが出たりするので、なかなかその本質をつかむ事は難しく、だいたいは男性の希望的勘違いの方向にイメージが曲がって言ってしまいます。 ま、そこで、一応心理学を研究した立場から、また情報の信頼性の立場から、私なりに女性の本質を解読してみよう、という狙いです。 え〜、今回のお題は、「松たか子が、お嬢様、というのは勘違い」 です。 松たか子というと、松本幸四郎の娘、由緒ある梨園の娘さんです。ただ、それだけでお嬢様と考えるのは、希望的観測に過ぎません。 まず、演技から感じられるのは、表情が非常にきつい、ということです。怒った時の演技の表情は、とても育ちのいい人のものではありません。表情から察するに、かなり怒りっぽい人ではないでしょうか。 次に、梨園の人と言うのは、姻戚関係が強いせいもあって、似た顔の人が多いです。それにしては、松たか子の場合、姉の松本紀保、兄の市川染五郎と、顔が全く似ていない。一番似ているのは、親父さんである松本幸四郎です。この父娘に共通するのは、歌舞伎向きの顔ではない、ということです。歌舞伎界の人としては、ちょっと異色の顔です。それで歌を歌ったりトレンディドラマに出ている事が多いのだと思いますが、三谷幸喜氏のエッセイに出ていたエピソードには、少し異様な松たか子の姿が。 舞台で、脚本家が出来上がった脚本を、演者が集まって最初に読むのを、本読みといいますが、そこは三谷幸喜。脚本家として、どれだけ初めて読む自分の脚本を役者さんたちに笑ってもらえるか、観察していたのです。もちろん、本人はギャグ満載の本を書いたつもりなので、読みながら「クスクス」笑われると、「よし!」と思うわけです。で、その時の本読みでは、三谷作品ではおなじみの西村雅彦や戸田恵子はもちろん、ほぼ全員の役者さんが「クスクス」笑ってくれたそうです。しかし、三谷氏にはとても気になる事が。松たか子が全く笑わない。三谷氏、悶々。「僕の書いたギャグがダメなのかなあ、どうして笑ってもらえないのだろう。う〜ん、どうしてなのだ〜」となったそうです。考えられる可能性としては、松たか子があまりに本読みから真剣過ぎる、もしくはユーモアを理解しない、という所です。どちらにしても、心に余裕が無さ過ぎます。いい育ち方をしたとは思えないのです。 経験から察するに、彼女はかなりガサツな人のように感じます。それを裏付ける決定的証拠が。松たか子の好きな言葉、というのが「弱肉強食」だそうです。あまりに優しさに欠ける言葉を選ぶあたり、かなりの自己チューぶりがうかがえます。 どうでしょう、これでお嬢様というイメージが、単に梨園の娘という裏付けしかない事がお分かりいただけるのではないでしょうか。また、兄弟順から言っても、末っ子の女性。親は長女としてしっかりして欲しいという期待も持たず、次女以下の娘に対する要求というのは、非常に甘いものがあります。まして末っ子。かなり甘やかされて育ったのではないでしょうか。一般に、梨園の家の女性というのは、梨園の家に嫁ぐ事が多く、そのため礼儀作法などを厳しく躾けられるものです。ただ、その様な型にはまった人生を好まない女性の場合、何かしら自分で芸能活動で成功する事を強く希望します。しかし、守られた梨園ではない芸能界というのは、とても競争が厳しい世界です。生き抜くにはたくましくならなければなりません。その辺で、非常に男っぽくなる特徴があります。似た境遇の女性に、寺島しのぶがいますが、彼女の場合、とても繊細なのに、強がっている、という女性的な所を感じるのですが、松たか子の場合、女らしさ、というのを感じた事は、少なくとも私はありません。どうでしょう、清楚、とか、おしとやか、といったお嬢様イメージがほとんど勘違いだとは思いませんか? ■
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by journalism-1
| 2006-06-14 06:31
| 有名人批評
ビンタ。基本的に、女性のビンタの方が正しい打ち方だと思います。手首だけで打つのが綺麗にビンタを決めるコツ。男が失敗しがちなのは、腕までしならせて打ってしまうので、あごに入ってしまったりして、相手にケガを負わせたりするのです。 格闘技ファンの人なら、ビンタされたい人として、アントニオ猪木の「闘魂注入」なんて言う人もいるでしょうが、確かに痛そうですが、アントニオ猪木より強烈なビンタを打つ職種の人がいます。 関取、というのも張り手をやっている以上凄そうですが、あれは前から打つので、ビンタとは違いますね。確かにビンタされたくない職種の人ではありますが。 一番痛いビンタを打ちそうなのは、ミュージシャンです。普通の楽器の人は何でもないのですが、パーカッションの人だけは避けないといけません。太鼓でも、ドラマーはスティックで叩くので、別に特別な手はしていませんが、素手てコンガなどを叩く人、この人が最強のように思えます。 まず、普段の練習からスタートして、ステージに上がるくらいにうまくなっている人は、もう充分手のひらの皮が固くなっています。特にコンガなどは手にかかる負担が大きく、たいていの人は、中指と薬指の第一関節にテーピングしています。でないと、約二時間のステージで、腱鞘炎になるからです。これが、本当にうまい名人級の人になると、手が、いわゆる天狗のうちわみたいになってきてしまっていて、固くて大きい手になっています。簡単に言うと、職業病で、自然に手が常に腫れたような状態になっているのですね。 この手の人にビンタされたら、おそらく失神するのではないかと思います。くれぐれも、パーカッションの人を怒らせないようにして下さい。 ■
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by journalism-1
| 2006-06-12 02:55
| 有名人批評
我が師であるセラピストは、ネット世論が何らかの動きを形作る可能性を指摘していた。それは、「のまネコ騒動」があった時の事で、 「あれも、時間が経てば、新しい力になるかも知れないよ」 と言っていたのだ。 しかし、どうやらネット世論の成熟を待っている余裕がないほど、社会はどんどんおかしな方向にいっているような気がする。また、ネット世論の成熟を待とうにも、ネットは自己チューの論理から抜け出せないようだ。 我が師は、 「インターネット非対応」 で生きている人なので、ネットの詳しい所については知らないのだが、ネットの匿名性が、感情的になったり、悪い方の品性を向き出しにしている現在の状況では、ネット世論に何らかの希望を抱く事は難しい。ネットをコミュニケーションツールとして使っていると、実はミクシィにも入っているのだが、同好会的なムードしか出来上がらないようだ。仲良しこよし、慰めあって生きている事は大事なのだが。そのムードの中では、はっきりとした主張を打ち出す事は難しい。その様な急進的なムードは嫌われるからだ。 ネットよ、おまえはどこへ行く? ■
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by journalism-1
| 2006-06-05 05:36
| 有名人批評
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